https://x.com/levandov_2/status/1745893607045767594?s=46&t=Ppomx7sB7Imw96-OuUp7UA

 

古代の製本過程の動画に、「本はかつては高級品だった、本を10冊も持っている家は金持ちだった」というコメントが付されていた。

現代の技術で作る本と、この動画で作られる本はもう別のものと言ってもいいのかもしれない。たとえ工場で大量生産が可能になったって、この動画と同じ仕様、制作過程を経たものは今でも高級品だろう。廉価に作られる現代の文庫本とはまた違う価値がある。

でも、本としての本質や意義は変わらないのだろうか。膨大な内容を文章として記録し、保持し、人に伝える。

かつての本は記録して後世の人に残すことが目的だったのではないかと思う。技術革新を経て、現代はそれに加えて遍く広く普及させることも理由になった。大量生産される本の、どれか1冊でもきれいな状態で後世に残れば良い。これは、1冊の価値が下がったといえるだろうか?

同じ意義のものが、長い年月とその構成要素の入れ替わりを経ても同じものとよべるか、テセウスの船をなんとなく思い出す。