疲れている。何に?わからない。

ここ数日高潮のように落ち着かない日本の状況であるかもしれないし、1日2日と沢山歩いたからかもしれない。喉の奥が狭まるような倦怠感が抜けず、何をするでもなく座椅子に座っている。

倦怠感が抜けない、というのはずっと感じていたことだった。でもそれ以上の重たさを背負っているような気がするし、今まで通りかもしれないとと思う。昨日や一昨日、1週間前のことすら、正確に今と比較できない。目に見えず、数値化もできないからかな、それとも精神的な面が絡むからだろうか。どんな体制を取っても楽になれず、半開きの口から熱っぽいため息をついている。目を閉じて自分の鼓動と呼吸音に耳をそばだてて、これが他人のものたったら何か変わるのだろうか、と考える。わからない。

他人に認められたい、賞賛を浴びたい、でも同時に、それ以上に他人と関わりたくない。ここでいう他人、とは、私のことを理解してくれない人であり、私と同じ尺度を持たない人のことだ。

理解してくれない人、これも正確ではない。自分でない人間のことを、その心境まで含めて完全に理解することは不可能だとわかっている。多少関わりがあれば相手を理解しようとするのは無意識下でも行われる取り組みだと思う。私が他人に求めているものは、理解、ではないのだろう。私と同じように物事を感じて、私と同じようにそれを表に出す、ことができる人をずっと探している。そんな人は、いない。でも、私が重なりあえるのは私と全く同じ人だけだ。多少のズレがささくれて、いつか必ず致命的なヒビになる。経験則から知っている。私は、そのささくれを許容できない人間だ。

 

心のあり方を根本的に変えることなんて不可能なんだと思う。本心ではどう思っているのか、それを隠して堪える能力は鍛える余地があるだけ。だって、何か目の前の物事に対して直感的に浮かぶ感情はコントロールできるものではない。「こうあるべき」という表面を取り繕うことはできても、内面を矯正することって不可能だ。

最初から「良い人」に生まれついた人って得だなと思う。そんなの、顔に出さないようにしているけれど。

疲れた。明日は呼吸が楽になるだろうか。