一時の安寧と閉塞感。この狭い狭い砦の中で、巨人の脅威から逃れられるのと引き換えに、新鮮な空気もありはしない。
こんな暮らしになって一体どれほど年月が経っただろうか。平和な幼少期の記憶がどうにも朧げで、そんな優しい思い出は全て追い詰められる暮らしの中で生まれた幻想のようにすら思えた。すべてはあの巨人達が海の向こうから現れて、砦に追いやられたあの日から。
自由を求めて堅牢な壁の外に戦士を送り出し、そして敗走の目を見続けてきた。亡くした仲間を弔う余裕もなく、死体を外に置き去りにして。
戦って、亡くして、怯えながら眠り、また戦って。
一体どれほどの仲間を失ってきたのか、記憶の中では千を越していたはずの人間は、今やもう目視で数えられる程にまでなった。槍を握って壁の向こうへ挑むたび、今度の争いで「減る」のが自分ではないことを切に願っている。
疲れている。ずっと。希望を持てない未来に。
食料に、衣類に、日用品に、娯楽に、その全てに困窮しながら瀬戸際を生きながらえることに。

全員がその諦念を心のうちに抱えながら、それでも立っていられたのは戦士を率いてきた人物のおかげだった。
戦闘と統率に秀で、指揮官とまで呼ばれた彼は、仲間を鼓舞することにも長けていたのだ。
彼が勝利を語ってくれれば大丈夫だと思えた。光の刺さないこの砦で、彼が語る昔の思い出話だけが気持ちを明るくした。
その彼は、一昨日、亡くなった。
いつものように、砦を壊そうと侵攻してくる巨人に抗って槍を振りかざし、その切っ先を喉元に突きつけようとしたところで。
相対した巨人がひらりとおもちゃのように投げてきたものに目を奪われた。その一瞬が、命取りだった。
せめてもの救いは、死に場所として大事な相棒の亡骸の隣を選べたことだろうか。腐敗した肉体が叩きつけられた衝撃で原型を留めていなくとも、身につけた揃いのスカーフで判別できただろう。

巨人は知恵をつけてきていた。
だだっ広い草原にぽつんとある小さな建造物の中には餌がいるらしい。餌をひとつだけ食べずに我慢していればおびき寄せられるらしい。餌は、自分たちが寝ている暗いうちは川にいるらしい。

昨日の深夜、闇を忍んで水を汲みに向かった補給係は帰ってこなかった。次の展開は容易に予想できる。

使う者が随分減った刀掛けの、一昨日新たに空いた大きな空白が目に痛い。欠けた一人分よりずっと質量を増した絶望が入り込んでいた。

日が暮れる。腹をすかせた大きな生き物の吐息が肌に当たるようだった。
ふと見やると、一言も発さない仲間がどこにともなく焦点を彷徨わせている。窪んだ眼窩の奥に、誰も住んでいない部屋のような闇が広がっていた。
きっと自分も同じだ。窮鼠だって前歯を失えば猫を噛もうだなんて思わない、思えない。

「行こうか」
ささやくような声だった。すべてわかちあってきた相棒がこちらを見ている。
「もう疲れたよね、がんばったもんね」
長く息を吐くことで肯いた。同じ暗闇に、私達はいる。
刀掛けから二振り槍を手にとって片方を渡した。隣を見ずとも考えていることは自明だ。

砦の出口の閂を抜く。外の空気と共に、餓えた巨人の目がぎょろりとこちらを睨んだ。
飛び出していった相棒に続いてがむしゃらに武器を振う。打ち付けた感触で巨人の位置をやっと正確に把握できるような闇の中。
背中を預け続けてきた相棒に、今日は隣を許した。
願わくば、花の下にて。

 

 

 

 

 

怖い夢見たから文字起こししておく